ゆるせぬ。

2004年8月25日 日常
ゆるせぬこと。
日本でも、アメリカでも、
ゆるせぬことがあります。
薄っぺらい正義感。
これだけは、どうしてもゆるせぬ。
一番ゆるせなかったのが、環境問題に対すること。
某コマーシャルで聞いた言葉。
『地球温暖化に対して、私たちはどんなことができますか?』
この言葉を、専門家が言っているのなら、
どうしたらいいのかな、って考えちゃったりするけど。
企業の広告のために、うわべだけの台詞を言っている女優さん。
決して彼女を、またその企業を批判したいのではないです。
ただ、心から環境のことを考えているのだとしたら、
あの薄っぺらさはないと、私は、思う。
もともと、自分の専攻が環境科学でした。
今は森林学や、他にも興味があるのだけれどね。
だから、意地で過敏になってるところがあるのかもしれない。
でもね、思ったこと。
私が高校生のとき、オープンキャンパスで当時の第一志望の大学の、説明会っていうか、ちょっとしたお話をするところへ行ったんです。そこは、森林総合科学科っていったかな。で、彼らがどんな風にして環境問題対策をしているか、などなど語ってくれました。そこで、一番最後に説明くださっていた教授がいった一言が、未だに心に残ってます。
『自然を壊したのは人間なんだから、
それを元に戻すのが人間の役目なんです』

ぞくぞくってきました。
鳥肌が立ちました。
コレ、一見誰でも口にできそうな何の変哲もない言葉に聞こえますけど、違うと思う。これを、彼は本気で言ったから、私たちの心に響いたんだと思う。一緒に行った友達もみんな心うたれていて、その子たちは環境問題に興味があるわけでもなんでもないのに、すごく心打たれてた。
もう一つ。友達に付き添っていった、某アカデミーの服飾デザインの体験入学に行ったとき。このときも、私は大して服飾デザインってものに興味がなかったけど、話をしてくれる人たちや、実際の生徒さんの作品みてると、なんだかそのうしろに見える「光」みたいなものに圧倒されてしまいました。それで、こういう仕事もカッコイイなぁーって思ったりもしました。無論、私は他にやりたいことがあるので、そっちに進もう、とまでは思わなかったんですけどね。
何をいわんとしているかは大体お分かりだと思うんですけど、
気持ちが、本気かどうかってことなんですよね。
ここですごいのが、ドキュメンタリー番組の語りの人たちや、役者さんたち。彼らが私たちを感動させてくれるのは、それを分かってる人半分、あとは、技を持ってる人半分、くらいなのでしょうか。彼らの情熱は、放ってる言葉というよりむしろ、言葉を放つこと自体にあるんだと思います。そこに想いがこもっているから、放たれた言葉にも勿論力がある。
本気じゃない言葉は、すぐに分かる。
たとえば友達と話していてもそう。
誰かの言葉の引用だろ?ってすぐわかるときがある。
見かけだけかっこつけたって、すぐわかる。
だから、誰かに何かをいうときは、
いつも自分の言葉を遣わなきゃならない。
じゃなきゃ、相手に自分の本当の気持ちが伝わらない。
たとえそれが稚拙であっても構わない。
そこにはその人がいる。
だから
「環境について私たちができることを考えてみましょう」
なんて、深く考えて自分なりの結論を出したことがない人が、
言っても意味ない。
「戦争は悪いものだからなくさなきゃいけない」
なんて、戦争のことをろくに知らない先生が教えても意味ない。
それじゃ今の子供達に伝わるわけない。
先生以上に子供は何も知らないんだから。
本気で話しても分かってくれない人は沢山いると思う。
それは、仕方のないこと。
世の中には色々な考えの持ち主がいるのだから。
でも、本気じゃない人が語る言葉と、本気の人が語る言葉の説得力の差は、歴然としてる。
だから、ゆるせぬ。
言葉を濫用する、彼らがゆるせぬのです。

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